トミタの服飾経歴
皆さまボンジョルノ☀︎TOMITALIAです。
前述『服飾と肌の色』のついでに、
今日は、私の服飾経歴を振り返ってみたいと思います。
ご興味のある方、お付き合いくださいね。
幼少時代から学生時代
前述で『自分の色を探そう。そして着よう。』と
お話ししました。
では私は、どういう経緯を辿ってきたのでしょう。
【幼少時代】
兄弟が多く服を買ってもらった記憶がありません。
母が作った服を着るのが日常でした。
【学生時代】
大学時代は自分の色彩が解放されるとともに、
自分のパレットを頭の上から下までジロジロ見られる時代。
選択すれば選択するほど、それを見られる。
原宿や渋谷に行けば、目を見張る人がいる。
買い物は原宿のusedのお店で購入していました。
気になるところは、妹に縫ってもらっていました。
例えば、虫食いの穴にチャックを縫い付けてもらったり。
_episode1
友人たちと当時流行っていたディスコパーティへ出かけました。
私は、ジーンズの上に大きなジーンズを履いて行きました。
?????
ピエロに見えるかな!と思って履いていました。
すると友人が軽い口調で言いました。
『こんなに大きかったら上着にできるんじゃねぇ!?』
それに応え私は、
裾に腕を通し、ファスナーのところから頭を出す。
着方に無理なところがあり、
首の後ろは痛いんですけど。。。。でも着れました。
そして、ウケた。
_episode2
彼女とデートする時。
必ず彼女より派手で嫌がられました。
それが失恋につながるケースもありました。
_episode3
靴の上にさらに大きな靴(14インチ=35cm)を履いていた時代もありました。
チャップリンに憧れていたのか、
チャップリンの気持ちを味わいたかっただろうと思います。
大学4年の夏休み
ロサンゼルス空港の検問で、
『なぜ、そういう履き方か?何インチか?』
と聞かれ、止められました。
私より背が高い検問官は、
『俺も同じ14インチだ』と。
変な仲間意識の芽生えと、
『すげぇー!!』と驚愕した思い出があります。
自分のパレットの色
そんなこんなで、
昔から、色んな服を履いたり着たりしてみるのは苦ではありません。
私は自分の着る色が
自分の使いこなせる
パレットの色になると信じて探求を怠りませんでした。
留学先のイギリスでも
第二の故郷イタリアでも誰にも教わっていません。
過去の自分の服飾を思い出すと、
よくしてたもんだなと、
クスッと笑ってしまう大人になった私がいます。