Verona県から名誉県民賞受賞!

ボンジョルノ☀︎トミタリアです。
本日は名誉なお話。

1995年「FENICE火の鳥」

1995秋 Verona県から名誉県民賞を戴きましたm(_ _)m
同市出身である彫刻家Giandomenico Sandri氏
による 長崎戦後被爆50周年の、祈念モニュメント
実現に尽力した功績を評価されての受賞でした。


日本イタリア国際交流の狭間で、もちろん
苦労もありますが、報われる瞬間が多かったなと。
イタリアはちゃんと自分を見守ってくれていると、
いつも実感しています。

長崎県立美術博物館(現長崎県美術館)で、1995年
8月の長崎戦後被爆50周年に前後して、「DUE-
NAGASAKINI」展を開催しました。

同時にイタリア人彫刻家に祈念モニュメント
彫り上げてもらう案が浮上。雲仙市の(株)宅島建設
をメインスポンサーに、実現にこぎつけたもの。

私は、故城谷耕生氏とのデザイナー二人展以外にも、
この祈念モニュメント「FENICE火の鳥」の立案監修
の役目を担い、プロデューサーとして関係各社と連携
し、彫刻家の制作を支え続けました。

総重量30トンもの諫早石原石を、切り出しから3ヶ月
近くにわたって彫り進み 展示に至るまで、言葉を超え、
色々なトラブルを乗り越えていく苦難の道のりでした。

なので、思いがけずイタリアから名誉県民賞を戴いて、
さらなる達成感というか、私個人にとってもすべての
関係諸氏にとっても、大いなる記念碑と相成りました。

宅島建設をはじめ、諫早石材やミヤタ石産らすべて
の有志の方々のご尽力に、心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございましたm(_ _)m

10kg近く痩せ細るまで、逆境の中彫り上げて頂いた
彫刻家Giandomenico Sandri氏と、ヴェローナ県の
評議会に申し出て頂いたAlberto Scemma氏にも、
御礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
GRAZIE INFINITAMENTE m(_ _)m

Provinciaが県なので、受賞は名誉県民賞です。

すいません、26年もの長きにわたって、受賞したのは
Verona市からの名誉市民賞と言い続けてて…


実は最近になって、小さな盾の上部に貼り付けられた
もう一枚のプレートの文字が、

Verona県の名誉県民賞上部。

Provincia di Verona (ヴェローナ県)であることを
再認識しました。すなわち私が受賞したのは、

Verona県からの名誉県民賞なのです!!!

県知事さま県民の皆さま、どうかお許しくださいm(_ _)m
残りの人生は、名誉に恥じない行いをお約束致します!!

ヴェローナ聖ゼーノ教会「最後の晩餐」

さて、このブロンズレリーフを貼り付けたアクリルの
ステキな表彰盾は、宝物というか記念碑というか、
私にとってお守りのような存在です。

レリーフのモチーフは「最後の晩餐」です。

そしてオリジナルの「最後の晩餐」があるのは、
ヴェローナ聖ゼーノ教会です。


聖堂の大扉は、新約聖書と聖ゼーノの奇跡など、
73枚のブロンズタイルで構成されています。

この町外れのひと気の少なかった歴史的建造物を、
現代に知らしめたのは、ここで密かに挙げられたと
される、ロミオとジュリエットの結婚式!!!

知るヒトぞ知る、隠れた愛の聖地なのです♡

最後の晩餐は、一番大き目の56cmx52cmタイルで
左扉の上から3列目。弟子の数こそ足りませんが、
ダビンチコードで有名になった、マグダラのマリア
=キリストの奥さまが、女性らしく夫に寄り添って
描かれており、ユダも一番目立つ対面の配置です。

人物描写や画面構成は、明らかにルネッサンス以前。
中世の雰囲気が充満しています。キリストや弟子たち
の神妙な表情も人間臭い、素朴な味わいがあります。

聖ゼーノ教会大扉の最後の晩餐レリーフ(Google検索より引用)
最後の晩餐レリーフの位置(Wikipediaより引用)


ローマ帝国時代の円形劇場が町のど真ん中にあるくらい、
古くから栄えたヴェローナの、重要なシンボルです。
DC380年頃に亡くなった聖ゼーノは悪魔払いを得意と
して、他界後に評価が上がり聖人となりました。崇拝
者らが七百年かけて、聖堂の建立にこぎつけたのです。

ヴェローナ聖ゼーノ教会外観(Wikipediaより引用)

悪魔払いの聖人と輪廻転生の悲喜こもごも

聖ゼーノは忌み嫌っていたらしいですが、キリスト教
の初期(コンスタンチノープル会議AD553年以前)は、
輪廻転生など、東洋的とされる生命観も普通に信じら
れていました。


たとえばクリスマスは、もともとの精霊たちを祀る
異教徒たちの祝祭に、キリスト生誕をかぶせた話は
特に有名です。

人間の子である前に神の子であることを説く教義には、
神の教えにない魂の不滅や蘇りは、邪教の野蛮な考え方
であるとして、正典=聖書から削除されたのです。

そして長崎戦後被曝50周年祈念モニュメントは、この
復活と再生の象徴である「火の鳥」がテーマ。



国際平和都市ナガサキが、敗戦から50年を経てもずっと
白い鳩を掲げていくのか、平和のおかげで国際創造都市
への「転生」をアピールするのか。そこから50年目の
時空の壁をくぐらんとする「FENICE火の鳥」を尾と翼
で象徴する、モニュメントの基本構想が浮かんだのです。
その壁の前に立ち、未来を見つめるすべてのヒトには、
復活と再生の両翼が贈られると。

真ん中にある垂直のスリットは、彫刻家ジャンドメニコ•
サンドリ氏のアイデアで、神々からの祝福の光が差す
ことを意味しています。

FENICE(火の鳥)と制作者Giandomenico Sandri氏

現在「FENICE火の鳥」は長崎県雲仙市のいのりの里
安置されています。

受賞のきっかけとなったのに、祈念モニュメントは
思いっきり異端な考え方に基づいていて、世が世なら
聖ゼーノにこっぴどく叱られていたことでしょう。

それでも純愛に命を捧げる、ロミオとジュリエットの
誓いを見守ったレリーフ、そしてキリストとマグダラ
のマリアが彫り込まれたレリーフは、いつも異教徒の
私を勇気づけてくれます。さすがお守りです!!

またナガサキでは、爆心地近くに居住していた
キリスト教徒が、数多く原爆の犠牲となりました。
聖ゼーノもきっと、彼らの痛みが癒える一助となり、
新しい一歩へつながる布石のようなモニュメントを、
お喜びになられるはずと信じています。

日伊の狭間で揺れ動く復活や転生は、

「戦後にどう終止符を打つべきか」

という、さらに大きなテーマへつながっていくのかも
しれません。


Verona県から名誉県民賞受賞!

ボンジョルノ☀︎トミタリアです。
本日は名誉なお話。

1995年「FENICE火の鳥」

1995秋 Verona県から名誉県民賞を戴きましたm(_ _)m
同市出身である彫刻家Giandomenico Sandri氏
による 長崎戦後被爆50周年の、祈念モニュメント
実現に尽力した功績を評価されての受賞でした。


日本イタリア国際交流の狭間で、もちろん
苦労もありますが、報われる瞬間が多かったなと。
イタリアはちゃんと自分を見守ってくれていると、
いつも実感しています。

長崎県立美術博物館(現長崎県美術館)で、1995年
8月の長崎戦後被爆50周年に前後して、「DUE-
NAGASAKINI」展を開催しました。

同時にイタリア人彫刻家に祈念モニュメント
彫り上げてもらう案が浮上。雲仙市の(株)宅島建設
をメインスポンサーに、実現にこぎつけたもの。

私は、故城谷耕生氏とのデザイナー二人展以外にも、
この祈念モニュメント「FENICE火の鳥」の立案監修
の役目を担い、プロデューサーとして関係各社と連携
し、彫刻家の制作を支え続けました。

総重量30トンもの諫早石原石を、切り出しから3ヶ月
近くにわたって彫り進み 展示に至るまで、言葉を超え、
色々なトラブルを乗り越えていく苦難の道のりでした。

なので、思いがけずイタリアから名誉県民賞を戴いて、
さらなる達成感というか、私個人にとってもすべての
関係諸氏にとっても、大いなる記念碑と相成りました。

宅島建設をはじめ、諫早石材やミヤタ石産らすべて
の有志の方々のご尽力に、心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございましたm(_ _)m

10kg近く痩せ細るまで、逆境の中彫り上げて頂いた
彫刻家Giandomenico Sandri氏と、ヴェローナ県の
評議会に申し出て頂いたAlberto Scemma氏にも、
御礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
GRAZIE INFINITAMENTE m(_ _)m

Provinciaが県なので、受賞は名誉県民賞です。

すいません、26年もの長きにわたって、受賞したのは
Verona市からの名誉市民賞と言い続けてて…


実は最近になって、小さな盾の上部に貼り付けられた
もう一枚のプレートの文字が、

Verona県の名誉県民賞上部。

Provincia di Verona (ヴェローナ県)であることを
再認識しました。すなわち私が受賞したのは、

Verona県からの名誉県民賞なのです!!!

県知事さま県民の皆さま、どうかお許しくださいm(_ _)m
残りの人生は、名誉に恥じない行いをお約束致します!!

ヴェローナ聖ゼーノ教会「最後の晩餐」

さて、このブロンズレリーフを貼り付けたアクリルの
ステキな表彰盾は、宝物というか記念碑というか、
私にとってお守りのような存在です。

レリーフのモチーフは「最後の晩餐」です。

そしてオリジナルの「最後の晩餐」があるのは、
ヴェローナ聖ゼーノ教会です。


聖堂の大扉は、新約聖書と聖ゼーノの奇跡など、
73枚のブロンズタイルで構成されています。

この町外れのひと気の少なかった歴史的建造物を、
現代に知らしめたのは、ここで密かに挙げられたと
される、ロミオとジュリエットの結婚式!!!

知るヒトぞ知る、隠れた愛の聖地なのです♡

最後の晩餐は、一番大き目の56cmx52cmタイルで
左扉の上から3列目。弟子の数こそ足りませんが、
ダビンチコードで有名になった、マグダラのマリア
=キリストの奥さまが、女性らしく夫に寄り添って
描かれており、ユダも一番目立つ対面の配置です。

人物描写や画面構成は、明らかにルネッサンス以前。
中世の雰囲気が充満しています。キリストや弟子たち
の神妙な表情も人間臭い、素朴な味わいがあります。

聖ゼーノ教会大扉の最後の晩餐レリーフ(Google検索より引用)
最後の晩餐レリーフの位置(Wikipediaより引用)


ローマ帝国時代の円形劇場が町のど真ん中にあるくらい、
古くから栄えたヴェローナの、重要なシンボルです。
DC380年頃に亡くなった聖ゼーノは悪魔払いを得意と
して、他界後に評価が上がり聖人となりました。崇拝
者らが七百年かけて、聖堂の建立にこぎつけたのです。

ヴェローナ聖ゼーノ教会外観(Wikipediaより引用)

悪魔払いの聖人と輪廻転生の悲喜こもごも

聖ゼーノは忌み嫌っていたらしいですが、キリスト教
の初期(コンスタンチノープル会議AD553年以前)は、
輪廻転生など、東洋的とされる生命観も普通に信じら
れていました。


たとえばクリスマスは、もともとの精霊たちを祀る
異教徒たちの祝祭に、キリスト生誕をかぶせた話は
特に有名です。

人間の子である前に神の子であることを説く教義には、
神の教えにない魂の不滅や蘇りは、邪教の野蛮な考え方
であるとして、正典=聖書から削除されたのです。

そして長崎戦後被曝50周年祈念モニュメントは、この
復活と再生の象徴である「火の鳥」がテーマ。



国際平和都市ナガサキが、敗戦から50年を経てもずっと
白い鳩を掲げていくのか、平和のおかげで国際創造都市
への「転生」をアピールするのか。そこから50年目の
時空の壁をくぐらんとする「FENICE火の鳥」を尾と翼
で象徴する、モニュメントの基本構想が浮かんだのです。
その壁の前に立ち、未来を見つめるすべてのヒトには、
復活と再生の両翼が贈られると。

真ん中にある垂直のスリットは、彫刻家ジャンドメニコ•
サンドリ氏のアイデアで、神々からの祝福の光が差す
ことを意味しています。

FENICE(火の鳥)と制作者Giandomenico Sandri氏

現在「FENICE火の鳥」は長崎県雲仙市のいのりの里
安置されています。

受賞のきっかけとなったのに、祈念モニュメントは
思いっきり異端な考え方に基づいていて、世が世なら
聖ゼーノにこっぴどく叱られていたことでしょう。

それでも純愛に命を捧げる、ロミオとジュリエットの
誓いを見守ったレリーフ、そしてキリストとマグダラ
のマリアが彫り込まれたレリーフは、いつも異教徒の
私を勇気づけてくれます。さすがお守りです!!

またナガサキでは、爆心地近くに居住していた
キリスト教徒が、数多く原爆の犠牲となりました。
聖ゼーノもきっと、彼らの痛みが癒える一助となり、
新しい一歩へつながる布石のようなモニュメントを、
お喜びになられるはずと信じています。

日伊の狭間で揺れ動く復活や転生は、

「戦後にどう終止符を打つべきか」

という、さらに大きなテーマへつながっていくのかも
しれません。